2022年10月31日第237回「今月の映画」「ダウントン・アビー~新たなる時代へ~」
監督:サイモン・カーティス サマンサ・ボンド ヒュー・ボネヴィル ローラ・カーマイケル
(1)今回の映画「ダウントン・アビー」がこんなに凄い映画だとは全く知りませんでした。(2)のINTRODUCTIONで紹介されている一部を下記に紹介します。
≪≪英国貴族の壮麗な屋敷を舞台にした大ヒットシリーズ『ダウントン・アビー』。20世紀初頭、豪華な暮らしの陰でスキャンダル、相続問題などに揺れるクローリー一家と、彼らを支える執事やメイドたちが織りなす重層的なドラマが高く評価され、テレビシリーズはエミー賞など数々の栄光に輝いた。さらに食事やお茶のたびに着替える英国貴族のライフスタイルの優雅さや、英国風の巧みなユーモア、何より個性的なキャラクターたちが人気を呼び、“ダウントニアン”と呼ばれる熱狂的なファンを世界中に生み出した。≫≫ こんなに素晴らしい映画だとは全く知らず、映画を観ていましたが、「豪華な暮らし」の素晴らしさよりも、「豪華な暮らし」の中で、「スキャンダル、相続問題などに揺れるクローリー一家」の摩訶不思議さに、私・藤森の職業的な観点から興味を強く惹かれました。 ウクライナ侵攻の大問題がある上に、中国共産党大会でのいろいろな出来事があり、人間という存在の「巨大な摩訶不思議さ」が連続していて、人間って、一体全体何なんだろうと強烈な刺激を受けました。 「豪華な暮らし」をしているクローリー家や、70歳に近いプーチン大統領や習近平国家主席は巨大な権力も経済力もありながら、人間って何故、ほどほどの所で、心地良い人生を楽しもうとせずに、結局は「破滅的な進路」を求めてしまうのだろうかと、「人間の本質的なもの=脚本」を思わざるを得ませんでした(プーチン大統領と習近平国家主席の「脚本」は、私なりに分析してあります。プーチン大統領の「脚本分析」は、「今月の言葉」第238回、習近平国家主席の「脚本分析」は、「今月の言葉」第221回、222回、223回をご参照ください)。 次のプーチン大統領と習近平国家主席の「脚本」を推測させる記事をご覧ください。 ≪≪プーチン動員令、兵鼓舞も「来夏までに『露敗北』」 ウクライナの情報当局者が、年末までにロシアとの戦闘で「重要な勝利」を収め、「来年夏までに戦争を終える」との見通しを示した。クリミア半島の奪還や敗戦後のロシア分裂も示唆した。ロシアはプーチン大統領が動員兵らの訓練を視察するなどアピールに躍起だが、南部の要衝ヘルソンからの大規模撤退の可能性も高まり、攻撃もイラン頼みという状況だ。≫≫(夕刊フジ、4年10月22日) ≪≪顔むくみ咳き込む 習・健康不安 <略>むしろ私(注・峯村健司氏・青山学院大学客員教授)が衝撃的だったのが、演説中の習氏に気づいた「異変」だ。途中何度も咳(せき)払いをして、飲み物をすする音が聞こえたが、生中継の映像では確認できなかった。会場で取材をしていた中国メディア関係者が、当時の様子を振り返る。 「事前に中央宣伝部から、『習主席が演説中、水を飲むシーンは映すな』という内部指示が出ていました。演説中、言葉に詰まったことによる不自然な沈黙が2度確認できました。いつもよりも顔が少し浮腫(むく)んでいるようにも見えました」 内部指示が事前に出ていたということは、当局は事前に習氏の健康上の何らかの異変を把握していたことを裏付けている。69歳の習氏が何らかの持病を抱えていても不思議ではない。3期目の政権運営における新たなリスクの一つになってくる。これまでの党の慣例を破って、後継候補を置いていないのでなおさらだ。<略>≫≫(夕刊フジ、令和4年10月22日) また、中国共産党大会の閉幕式でのハプニング「胡錦濤氏 突然の途中退席」です。体調不良も言われていますが、どう見ても、かなり不自然な退席の仕方、退席のさせ方で、胡錦濤氏は退席するのを嫌がっているように、私・藤森には見えました。 |
(2)「INTRODUCTION」
英国貴族の壮麗な屋敷を舞台にした大ヒットシリーズ『ダウントン・アビー』。その映画版第二弾『ダウントン・アビー 新たなる時代へ』がいよいよ公開。愛すべきダウントンの人々が再びスクリーンに帰ってくる!もちろん恋と謎とユーモアと共に。 20世紀初頭、豪華な暮らしの陰でスキャンダル、相続問題などに揺れるクローリー一家と、彼らを支える執事やメイドたちが織りなす重層的なドラマが高く評価され、テレビシリーズはエミー賞など数々の栄光に輝いた。さらに食事やお茶のたびに着替える英国貴族のライフスタイルの優雅さや、英国風の巧みなユーモア、何より個性的なキャラクターたちが人気を呼び、“ダウントニアン”と呼ばれる熱狂的なファンを世界中に生み出した。 新作の舞台は1928年、映画撮影のためにハリウッドのスターが屋敷へやって来ることになり、ダウントンは大騒ぎに。長女メアリーや執事トーマスはいつものように冷静に現場を仕切りつつも、ロマンスの予感に揺れる。一方、母バイオレットが訳ありの別荘を相続したため、当主ロバートたちは南フランスへと向かう。 キャストは当主であるグランサム伯爵ロバート役のヒュー・ボネヴィル、母である先代伯爵夫人を演じる英国の至宝マギー・スミスをはじめ、元執事カーソン役のジム・カーター、長女メアリー役のミシェル・ドッカリー、ロバートの妻コーラ役のエリザベス・マクガヴァンら、お馴染みの面々がそのまま登場する。また、前作に続きイメルダ・スタウントンも出演し、実生活の夫であるジム・カーターと微笑ましいシーンも見せてくれる。そして先代モンミライユ侯爵夫人役でフランスの名女優ナタリー・バイ、映画監督役のヒュー・ダンシーらが加わった。 脚本は、シリーズの生みの親ジュリアン・フェローズ。監督は『黄金のアデーレ 名画の帰還』のサイモン・カーティス。当時、最先端リゾートだった南フランスのリヴィエラのエレガントさが再現され、また映画撮影にダウントンの人々が卷き込まれるさまは『雨に唄えば』を思わせ、映画ファンにもシリーズファンにも心憎い仕掛けが詰まった新作となっている。 |
(3)「STORY」
1928年、イギリス北東部ヨークシャーにある緑豊かな土地ダウントン村。広大な領地を治めるグランサム伯爵ロバート・クローリー一族は、喜びの日を迎えていた。亡き三女シビルの夫トムが、一族であるモード・バグショーの娘ルーシーと結婚したのだ。華やかな宴とは裏腹に、ダウントンの屋敷は傷みが目立ち、実質的な当主である長女メアリーは莫大な修繕費の工面に悩んでいた。 そこへ映画会社から新作映画『ザ・ギャンブラー』をダウントンで撮影したいという、思いがけぬオファーが。謝礼も高額だ。父ロバートの反対を押し切り、メアリーは撮影を許可する。ハリウッドの大スターが屋敷に滞在することに、映画好きの料理長助手デイジーや元下僕モールズリーらは胸をときめかせるが、主演女優マーナ・ダルグリーシュの高圧的な態度にがっかりさせられる。だが主演男優ガイ・デクスターは好紳士で、屋敷の人々、中でも執事トーマスの心を虜にする。 一方、ロバートは母バイオレットが、フランスのモンミライユ侯爵から南フランスにある別荘を贈られたという知らせに驚く。その寛大すぎる申し出に疑問を感じた伯爵は映画撮影の喧噪を逃れて、陽光まばゆいリヴィエラへと向かう。妻コーラ、次女イーディス夫妻、トム夫妻、モードらも同行し、彼らの世話をするため引退したはずの元執事カーソンが付き添うことになった。 果たして海辺の美しいヴィラに隠された恋多きバイオレットの秘密は、一族の存続を揺るがすことになるのか!? |
(4)「REVIEW」
<新たなる時代は明るい光に満ちている>(今 祥枝、ライター・編集者) 2010年9月に、イギリスの民放ITVで放送が始まったTVシリーズ「ダウントン・アビー」。異例の大ヒットを記録し、2011年1月には海を越えてアメリカの公共放送PBSのマスターピース・クラシックの名作集の一環として放送された。その直後からアメリカでも、ほとんど熱狂にも近いブームを巻き起こしたことを今でもよく覚えている。イギリスで高く評価されることはもとより、アメリカではプライムタイム・エミー賞に名乗りを上げて、当初はミニシリーズとして賞レースを席巻した。世界各国で人気を博している本作ではあるが、ともすれば堅苦しく古めかしいイメージがつきまとう英国の時代劇が、なぜアメリカで大ヒットしたのか?といった分析が当時は熱心になされていたように思う。 映画『ゴスフォード・パーク』でアカデミー賞を受賞した脚本家、ジュリアン・フェローズが手がけるシリーズだから、上流階級の人々をめぐる群像劇はお手のもの。本作もまた、貴族と使用人の2つの世界を、わかりやすく一つの屋敷内に配置する構図で、双方が密接に関わり合いながら恋愛や人間模様が展開する。いわば格差社会の縮図と見ることもできるのだが、その2つの要素の共存の仕方、配分が絶妙で、特に年齢や身分、階級が違う登場人物たちの波乱に満ちた恋愛模様は“ハイソなメロドラマ”などと形容されたものだ。大河ロマンとして時代劇に対するハードルを下げつつ、贅沢に作られた格調高い映像世界が、アメリカの人々にとっては自分たちにはない歴史の重みや貴族に対する憧れを喚起するといった見方もあった。 そうした評論はいずれも当てはまるのだろうが、実際のところ本シリーズはフェローズによる熟練の技と呼ぶべき脚本に始まり、俳優陣の珠玉のアンサンブル演技からプロダクションデザインなど、ドラマの完成度、質が圧倒的に高い。時代背景を巧みに取り入れた問題意識や社会派の要素とメロドラマの融合を、1912年から1シーズンごとに時代を変えて、TVシリーズとしては1925年までを描く。この手のドラマには珍しく、サクサクと時間を飛ばして物語を進めていくスタイルも新鮮だった。 シーズン1ではタイタニック号沈没事故、シーズン2以降は第一次世界大戦、アイルランド独立戦争、アメリカの政治スキャンダル“ティーポット・ドーム事件”、英国史上初の労働党政権の発足、2つの大戦の間で貴族が経済的に逼迫し、追い込まれていく。こうした情勢が登場人物の生活に有機的に絡み合い、バイオレット、コーラ、そしてメアリー、イーディス、シビルの3世代の貴族、とりわけ女性たちの、またカーソン、パットモア、デイジーら使用人たちの、世代と時代によって変わりゆく役割や変化を描き切っている。見応えがある人間ドラマこそが、映画版2本を含む本シリーズの要だろう。 映画版第1作は、TVシリーズの終了時点から一年半後、1927年が舞台だ。懐かしの登場人物がダウントン・アビーに集結し、おなじみのテーマ曲が流れ、大勢の人々のドラマを手慣れた風情でさばきながら、これぞ『ダウントン・アビー』の醍醐味といった世界が展開する。映画はメアリーがダウントン・アビーの主人の座を継ぐことになり、全体の雰囲気としては大団円で幕を閉じる。 だが、イギリス国王ジョージ5世とメアリー王妃が行幸啓途中でダウントン・アビーを訪問するという、これ以上ない栄誉とは裏腹に、ダウントン・アビーの華やかなりし時代は、これをもって本当に過去のものとなっていくのだろうという感傷的な余韻が、より強く感じられた。バイオレットは寿命が長くないことをメアリーに伝え、メアリーは屋敷を維持することの難しさに表情を曇らせる。一方、カーソンがクローリー家は次の百年もお屋敷を守れるだろうと、妻で家政婦長のヒューズに満足げに話すようすは、一抹の寂しさを誘う。この種の滅びゆく美学は、本作の根底にある大きな魅力の一つでもあるだろう。 ファンが望みうる最高の仕上がりだった映画版1作目は、大方の予想をはるかに上回り、興行的に大成功を収めた。その広がりによって、『ダウントン・アビー』は大きなスクリーンで鑑賞するべき貴重なIP(知的財産)であることが証明された。だから映画版2作目の制作に驚きはなかったのだが、『ダウントン・アビー 新たなる時代へ』は「A New Era」と副題が付けられているように、TVシリーズの延長としての半ば話をまとめにかかった感もある映画版1作目から、いろいろな意味で未来へ向かう転換点となる作品として見ることができる。そのことを象徴するかのように、2010年から始まった同作の歴史の中でも本作は約2時間の尺の中で、実に多くの新たな挑戦をしている。 ハリウッドから撮影隊がやってきて屋敷を占拠する、あるいはロバートとコーラたちご一行がダウントン・アビーを離れて、南フランスの美しい別荘へ。撮影中の映画『ザ・ギャンブラー』がサイレントからトーキーへと移り変わる瞬間を描き出すのと並行して、ある登場人物には新たな出会いがあり、新天地を求める者もいれば、バイオレットがこの世を去ることによって、明確に次世代へと物語が引き継がれたことが示されて映画は幕を閉じる。メアリーが後継者であることは前作でも描かれているが、本作では世襲制ビジネスに身を置き、変化を受け入れながらも人生は続いていくのだということを、いい意味での楽観主義を前に打ち出している。 TVシリーズ開始当初にはハッキリと分かれていた2つの世界の境界線は、いよいよ曖昧なものになりつつある時代を反映した描写も多い。冒頭のトムとルーシーの結婚式は2人の立場を反映するかのようにインフォーマルな結婚式で、貴族と招待客、使用人のバランスがうまく取られている。終盤では、『ザ・ギャンブラー』に使用人たちが、これまでに見たことのないようなドレスアップをしてエキストラとして参加する。この場面でスポットライトを浴びているのは使用人たちだ。一つの時代は幕を閉じるが、それは新たなる時代の幕開けでもあるのだということを強く感じさせて、かつてないほど全体のトーンは明るい。 プロデューサーのギャレス・ニームは、「ダウントン・アビー2こそが、ファンが待ち望んでいる元気をくれる薬だ」「映画の目的は、観客に心の底から楽しい夜を提供することなんだよ」と語っている。意図された明るい光に満ちた映像世界は、パンデミックの影響を受けての采配も加わり、人々に現実逃避を促し、楽観主義という解決策を映画を媒介として伝えている。時代の移り変わりとともに、「ダウントン・アビー」というシリーズもまたそのあり方も生き物のように変化していく。それこそが時代を超えて愛される、長寿シリーズの真価でもあるだろう。 |
(5)「REVIEW」
<「ダウントン・アビー」と英国貴族の一年>(村上リコ、文筆・翻訳) 2019年の秋、映画版『ダウントン・アビー』の前作は、たまたま旅先のロンドンの映画館で観た。ドラマで聞き慣れたメロディーが、少し豪華に編曲されて流れ、ダウントンの建物が大きなスクリーンに映し出されたとき、なつかしさで胸が高鳴ったのを覚えている。それから三年が過ぎて、新しい映画は・・・見覚えのない赤レンガの屋敷(バグショー夫人邸)から始まったと思ったら、ロバートたちは南フランスへ出かけるという、おなじみの屋敷での室内劇から、開放感のある未知の場所へ、ファンを連れ出したい。そんな意図が感じられる幕開けだ。 とはいえ2010~2015年のテレビシリーズでも、伯爵一家は季節ごとに屋敷を出て、様々な場所に滞在してきた。20世紀初頭の英国貴族の生活サイクルは実際どうだったのか、クローリー家が過ごしたかもしれない一年を想像してみよう。 <狩猟の秋> まずは9月・・・秋は猟銃の季節である。9月1日にヤマウズラ、10月1日にキジ猟が解禁され、鳥撃ちの好きな貴族は、田園地帯の本邸や、友人の館を泊まり歩いた。ドラマシリーズのなかでも、男性たちが来客と一緒に狩猟する場面が登場している。 秋は「スコットランドのシーン」でもある。シーズン3のクリスマススペシャルで、クローリー家の人びとは、親戚のスコットランドの城に行き、渓流釣りや鹿狩り、ダンスに興じた。これは毎年恒例の行事のようだ。 自分の持ち家を移るのではなく他人の館に泊まるときは、貴族女性は侍女(アンナやバクスター)、男性は従者(ベイツ)を帯同し、衣装の管理やヘアメイクを任せた。執事や家政婦長、料理長や下級メイドは、たいてい留守番である。今回のカーソンは特例なのだ。 さらに秋が深まると、11月1日に狐狩りが始まる。銃を使う鳥撃ちは「シュート」といい、英国貴族にとって「ハント」といえば狐狩りのことだ。馬に乗って猟犬の群れを走らせ、逃げ回る狐を捕らえて、最終的には犬に食い殺させる。なお現在のイギリスでは、動物保護の観点から法律で禁止されている。 銃猟は女性にふさわしくないとされたが、狐狩りには乗馬好きの女性も参加した。というわけで、若きメアリー・クローリーは、乗馬着姿の美しい背筋を見せつけながら、狐狩りの興奮と恋の戯れを楽しんでいた。 <冬のリゾート> 12月から1月初めまでのクリスマスシーズンは本邸で過ごす。そして年明けから4月までの時期に、温暖な南仏に滞在する人もいた。1860年~70年代、鉄道の発展とともに南欧の海岸にカジノや歌劇場などの娯楽施設がつくられ、王族・貴族が遊興を目当てに行くようになる。遊び好きな国王エドワード七世は、モナコのモンテ・カルロを好み、王太子時代から妃を伴わずに訪れて毎年数週間の休暇を過ごしていたという。 メアリーが留守番をしているダウントンで撮影されることになる映画の題材は奇しくも「1875年」の「ギャンブラー」である。軽やかなリゾート地の空気がヨークシャーにも漂ってきたというところだろうか。 <春のロンドン社交期> 春には「社交期(ザ・シーズン)」がやってくる。世襲貴族の当主は、かつては自動的に貴族院の議席を持っていたので、議会が開催される春夏にはロンドンにいることを求められた(サボりがちな人も多かった)。5月1日、王立芸術院の内覧会からシーズンが開幕すると、それから7月までの3ヶ月間、ロンドンではあらゆる社交行事がひらかれる。晩餐会や舞踏会はもちろん、オペラや演奏会、競馬、ボート、クリケットなどの観覧席も上流階級の社交場になった。 シーズン4のスペシャル回で、クローリー一家はロンドンの別邸に滞在し、親戚の侯爵令嬢ローズの「社交界デビュー」が描かれた。当時の英国貴族の娘は、年頃になると独特の白いドレス、羽の髪飾りと花束を身につけてバッキンガム宮殿に行き、国王夫妻に謁見した。そうすると社交界の花嫁候補とみなされるのだ。娘や息子や姪の将来を安泰なものにしたい貴族にとって、ロンドン社交期とは結婚マーケットでもあった。 クローリー家の娘たちは、紆余曲折を経てそれぞれに自分の恋する相手を勝ち取った。しかしバイオレット、コーラ、ロバートの世代は、19世紀末にこの社交期の機能によって結婚した(あるいはさせられた)のだろう。セリフのみでさりげなく語られる関係の詳細が知りたいところだ。 <夏のリゾート> 初夏に英国貴族が向かうのは、どちらかというと海よりも山。社交期の飽食やパーティーでむくんだ体を、スイスやドイツのスパで癒やすという習慣があった。イーディスが、かつてひそかに長女を出産するため滞在したのはスイスだった。そんな彼女も今回の映画では「リヴィエラは伝統的に冬のリゾートだったが、夏の海も人気が出てきた」ことをコラムに書こうとしている。過去にはアイルランド独立闘争にかかわったトムが、いまや娘に南仏の別荘を譲られ、テニスや海水浴を楽しんでいるとは隔世の感である(祖国はその後も大変だったはずだが・・・)。 「栄光の12日」とも呼ばれる8月12日になると、ライチョウ猟が解禁される。シーズン5のスペシャル回は、ロバートたちがブランカスター城でのイチョウ狩りに招かれるストーリーだった。そしてふたたび9月・・・狩猟の秋がめぐってくる。 駆け足でダウントンの一年を想像(妄想)してみたが、描かれていない行事はほかにもある。バイオレットの「ミステリアスな過去」やロバートとコーラの出会いなど、19世紀のダウントン・アビーの生活も、いつか語られる機会があることを期待したい。 |
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