2021年9月30日第224回「今月の映画」「アナザーラウンド Another Round」

(1)奇妙な「アルコールを飲酒する映画」で、アカデミー賞を受賞とあるので、一体、どんな映画なんだろうと興味を持って、見に行きました。

 さて、北欧の国をご存知ですか?ノルウェー、スエーデン、アイスランド、フィンランド、デンマークの五カ国です。

≪≪本作では北欧の卒業シーズンである6月へ向けて物語が進んでいく。太陽が輝き、緑が豊かに生い茂るデンマークで最も美しい季節だ。

 でもそんな季節はとても短い。8月には秋の気配が漂い、日が昇らない暗く寒い冬が近づいてくる。枯れた木と灰色の空の色のない世界がやってくる。厳しい自然に飲み込まれそうになる前に酒に逃げ、溺れてしまう人が多いと聞いても無理はないと思う。≫≫

≪≪デンマークでは16歳からアルコールを購入できる。これは他の北欧諸国と比べてもかなり早い。飲むこと自体は16歳前でも問題はなく、12歳から飲んでいるという強者もいた。高校生ともなれば立派に飲んだくれるわけだ。ちなみにWHOの報告書によると、デンマークの15歳の飲酒量は他のヨーロッパ諸国と比べて2倍にも上るという。≫≫

 さて、下記の内容(2~5)は、アルコールを嗜む人には、多分、いくらかは思い当たることがあるのではないかと思われます。

(2)「INTRODUCTION」

 『血中アルコール濃度を常に0.05%に保つと仕事もプライベートもうまくいく』
 酔っぱらって人生大逆転!?4人の男たちが仮説の証明に挑む・・・

 第93回アカデミー賞・国際長編映画賞を受賞した本作は、2020年に第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクションに選出されたほか、第78回ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノミネート、第33回ヨーロッパ映画賞作品賞ほか4冠、第74回英国アカデミー賞、第46回セザール賞ほかで外国語映画賞を受賞するなど、世界中で数多の映画賞を総なめにしている。

 2012年、マッツ・ミケルセンがカンヌ国際映画祭最優秀男優賞に輝き、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた『偽りなき者』の監督であるトマス・ヴィンターベアと、“北欧の至宝”マッツ・ミケルセン待望の再タッグが実現。同作で共演したトマス・ボー・ラーセンとラース・ランゼも再登板し、新たにコメディアンとしても活躍するマグナス・ミランが参加し、デンマークを代表する名優が集まった。脚本は『偽りなき者』と同様にトビアス・リンホルムがヴィンターベアと共同脚本を務めるなど盤石の布陣が敷かれている。

 『笑って、呆れて、涙して、ビターでユーモラスな人生賛歌』

 本作はノルウェー人哲学者のフィン・スコルドゥールが主張する「人間は血中アルコール濃度が0.05%足りない状態で生まれてきている」という理論からヒントを得て生まれた。

 「朝ご飯を食べる前にお酒は飲まない」葉巻と酒を愛したウィンストン・チャーチルが残した言葉であり、チャイコフスキーやヘミングウェイといった素晴らしい思想家や作家、アーティストたちも同じく酒を飲むことで勇気やひらめきを得ていたのだ。

 マッツ・ミケルセン演じる冴えない高校教師とその同僚3人は、このノルウェー人哲学者の理論を証明するため、仕事中にある一定量の酒を飲み常に酔った状態を保つというとんでもない実験に取り組む。

 すると、これまで惰性でやりすごしていた授業も活気に満ちて、生き生きとしたものになっていき、生徒たちとの関係性も良好になっていく。同僚たちもゆっくりと確実に人生がいい方向に向かっていった。しかし、実験が進むにつれ、だんだんと制御不能になり・・・。

 嘘みたいな仮説から生まれた奇想天外なストーリーは、酒が人生に与えるビターな面も描きつつも、ユーモラスで愛すべき人生讃歌となっている。

(3)「STORY」

 マーティン(マッツ・ミケルセン)は、あらゆることへの気力を失っている冴えない歴史教師。家庭でも夜勤が多い妻アニカとはすれ違い。会話もほとんどなく、二人の息子たちともコミュニケーションをとれずにいた。

 朝の職員会議では、酒に酔って電車内で大騒ぎをした生徒たちの行動が問題になっていた。問題を起こした3年生たちは大学進学を控える身。マーティンは彼らの授業を受け持っていたが、授業は退屈で支離滅裂なもの。そのお粗末な内容に、「こんな授業では希望する大学には受からない」と、生徒と両親から抗議を受けてしまう。

 その夜、同僚で心理学教師のニコライの40歳の誕生日会が行われた。集まったのはマーティンのほかに体育教師のトミーと音楽教師のピーター。乾杯をして祝い酒を飲む同僚たちの中でただ一人、水を飲んでいるマーティンに、ニコライは言う。

 「君に欠けているのは自信楽しむ気持ちじゃないのか?」

 そして、ノルウェー人哲学者フィン・スコルドゥールが提唱するある理論について話しだす。それは、人間は血中アルコール濃度を常に0.05%に保つことでリラックスした状態になり、気持ちを大きくもてる。つまり体にやる気と自信がみなぎり、人生が向上するというものだった。なにもない空虚な毎日に自分でもうんざりしているマーティンは、仲閒に促されながらついに酒を口にする。たっぷり酒を飲んだ帰路は、ここ最近味わったことのない高揚感で満ち溢れていた。

 翌朝、マーティンは一人、仮説の検証を始める。

 マーティンが一人実験を始めたことを知った仲閒たちは、「バカな実験で終わらせないためにも、心理学の論文にまとめよう」と記録をつけながら全員で参加することに。4人は飲酒ルールを設定し、校内でもこっそりと酒を口にしながら0.05%のアルコール濃度を保つ。すると、早速授業にも変化が表われる。それぞれが独創的な授業を行ない、生徒たちのやる気もアップ。自宅では妻との会話が増え、なによりも自分も気持ちがいい。手ごたえを感じたマーティンはもっと高い効果を期待したいと、濃度制限をなくすことを提案し、実験に励む。

 血中アルコール濃度を0.06%から0.12%にあげたマーティンは足元もおぼつかなく、学校でも誰の目から見ても明らかに様子がおかしい。しかし授業は絶好調。その様子を目撃したニコライもすかさず自身のアルコール濃度を上げ、トミーもピーターも続く。

 その頃、マーティンは8年ぶりに家族でキャンプ旅行に出かけ、子供たちとも久しぶりに心を通わせあい、妻とも愛し合う。お互いに感じていた見えない壁が消えたようで、すべてが完璧のように思えた。

 しかし、そんな幸せもつかの間。実験をさらなる領域へ広げたいというニコライの提案にのっかった4人は、たがが外れたように強い酒を飲み、制御不能となっていく。「このままではアルコール依存症になる恐れがある」と実験中止を決意するも、ときすでに遅し。

 ある人に異変が生じていた・・・。

(4)「COLUMN」

 <本作の主役『血中アルコール濃度0.05%』とは?>(小倉明彦・神経科学者、大阪大学名誉教授)

 人と酒との縁は長い。いや、ヒトが人になる前のサルの時代か、それ以前からのつきあいかもしれない。ブドウやリンゴは実の表面に酵母がついているので、木の洞などに入れておけば酒になる。ネズミに、ただの水とアルコール(エタノール)入りの水を運ばせると、後者を選ぶという実験結果もある。そんなに太古からのことなら、エタノールがなぜ人を虜にするか、そのしくみも先刻解明済みかというと、それがそうでもない。大きなくくりでいえば、エタノールは全身麻酔薬で、結局は神経の活動全体を止める。それはわかっている。だが、そこに至るまでに複雑な経過をたどる。飲み始めの血中濃度が低いうちには、むしろ興奮が高まる「高揚感」がある。

 脳は興奮性の神経抑制性の神経が巨大な回路網をつくって働いているが、興奮性神経と抑制性神経は、別々に二本立てにならんでいるのではなく、情報処理の途中で抑制性神経が興奮性神経を抑えたり、抑制性神経が抑制性神経を抑えて興奮を促していることも少なくない。少ないどころか、むしろそれが普通である。酔い始めの高揚期には、この「抑制の抑制」が優位に表われる。シラフでは冷静沈着な紳士が、一変して暴れ出したり泣き上戸になったりする。「本性が表われた」ともいえる。が、ふだんその暴発が抑えられているのなら、それこそが「理性の証」ともいえる。

 酒のもたらす多幸感も、この抑制の抑制の一つと考えられる。脳には、よいことがあったとき(動物でいえば、餌にありついたり配偶相手に出会ったりしたとき)快感を生んでそれを促す「報酬系回路」と、悪いことがあったとき(毒や天敵、あるいはライバルに出会ったりしたとき)不快感をよんでそれを避けさせる「罰系回路」がある。両回路は、記憶・学習のしくみと密接に連動しており、そのおかげで動物は餌のありかを覚えて生き残り、配偶相手を憶えていて絶滅せずにいられる。ところが、格別よいこともないのに、報酬系が働き出してしまうことがある。その典型例が麻薬や覚醒剤だ。エタノールも強さこそ違えど、この「報酬系の誤作動」をひきおこす。報酬系の抑制が抑制されて快感を生むその濃度こそ、本作の主役、血中濃度0.05%である。しかし、なぜ単なる「報酬系の抑制」ではなく、「報酬系の抑制の抑制」が先に表われるのか、それがよくわかっていない。0.1%を超えると、高揚期を過ぎて全般的鎮静に向かい、眠くなり動けなくなる。路上で寝込んでしまうことも起こる。

 エタノールの抑制効果は、他のさまざまな神経機能にも表われる。感覚系や運動系に表われて、顔をドア枠にぶつけたり、桟橋から海に落ちることも起こるだろう(日本の道交法の「酒気帯び運転」の基準は血中濃度0.03%=呼気で0.15mg/Lだから、0.05%はすでに免停だ)。内分泌系に表われて、就寝中は尿をつくらないよう働いているホルモンが止まり、夜尿を起こすこともあるだろう。思考系に表われて妄想がふくらみ、妻に別れ話を持ち出すかもしれない。

 しかし、この抑制の低下が、ときに好結果を招くこともありうる。科学も文学も芸術も、それまでの常識が覆されることで画期を迎える。エタノールは、常識による抑制を弱めてくれるだろう。ヘミングウェイやロートレックの創作に、酒は無関係ではなかったはずだ。実際、オーストリア・グラーツ大学の心理学チームによると、0.03%で、連想テストの成績が100点満点で12点上がったという。創造は、それまでそれぞれ別範疇に置かれていたモノや技術や概念が、思いがけなく結びついたときに生まれる。酒は、「あれとこれは別」という既成概念を取り払ってくれるだろう。理屈づけは、あとでシラフにもどった「隙」にやればよい。

 しかし、報酬系が記憶・学習と連動しているため、状況が続くと事は単純でなくなる。記憶は神経回路の改編によって実現する。本来、餌や配偶相手を求め記憶するための神経回路改編のメカニズムが、酒を求めるために動員されてしまう。アルコール依存症(アル中)である。ここに至ると、マシンとしての脳が改編されてしまった以上、意思だけで断酒することはできなくなる。麻薬・覚醒剤の依存症と同じだ。古い映画ファンなら『酒とバラの日々』を思い出すだろう。本作の登場人物たちは、まさにその瀬戸際に立っている。本作は一見ハッピーエンドだが、また飲み出したから、続編(もしあれば)でどうなっているか心配である。

 酔って顔が赤くなるのは、エタノール自体の作用というより、エタノールが水と炭酸ガスに分解されていく中間段階の代謝産物、アセトアルデヒドの作用である。このアルデヒドを分解する酵素の活性が低い人は、血中アルデヒド濃度がすぐに高くなって飲酒が顔に出る。活性の高い人は顔に出にくい。日本人を含む東アジア人には、この酵素の活性の低い人が多いので、日本の高校で教師が飲酒して校長や同僚が気づかないことはまずないだろう。が、活性の高い人が大部分の北欧ならば、それはありうる。

 なお、本作中で言及されているノルウェーの「哲学者」Finn Skarderud(藤森注・aの上に「。」がついています)は実在の精神科医で、たしかに「Humans are born 0.05% too low」といったことがある。責任重大だ。

(5)「COLUMN」

 <酒とマッツと、犠牲と寛容>(森百合子・北欧ジャーナリスト)

 マッツ・ミケルセンが酒を飲んで飲みまくる。こんな組み合わせに心躍らずにいられようか。が、しかし。「アルコールは人生に効く!」とばかりに飲酒を褒め称えよるような本作の滑り出しに危機感を感じるのも確かだ。北欧ではアルコール中毒が深刻な社会問題となっている。北欧の酒事情を知ると、本作の見え方がまた変わってくるかもしれない。

 本作では北欧の卒業シーズンである6月へ向けて物語が進んでいく。太陽が輝き、緑が豊かに生い茂るデンマークで最も美しい季節だ。でもそんな季節はとても短い。8月には秋の気配が漂い、日が昇らない暗く寒い冬が近づいてくる。枯れた木と灰色の空の、画家ハンマースホイが描いたような色のない世界がやってくる。厳しい自然に飲み込まれそうになる前に酒に逃げ、溺れてしまう人が多いと聞いても無理はないと思う。

 私は酒を飲めない北欧人を知らない。15年以上、北欧へ通い取材を続けているが、酒が苦手な人に出会ったことがない。さすがヴァイキングの末裔と言うべきか、体質的にアルコールを受け付けない者は長い歴史の中で淘汰されてしまったのではと思うほどだ。

 北欧のお酒あるあるエピソードに「ノルウェー人はスウェーデンへ酒を買いに行く。スウェーデン人はデンマークへ。そしてデンマーク人はドイツへ酒を買いに行く」というものがある。物価が高いといわれる北欧の中でもノルウェーよりはスウェーデンやデンマークのほうがまだマシで、またデンマークでは酒が買いやすいからである。

 北欧ではデンマークをのぞく4国(スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランド)では酒類は国が専売している(*)。デンマークだけが唯一、酒の販売を自由にできる。デンマークでは公園などで飲むこともできるが、他の北欧の国々では公共の場での飲酒は厳しく取り締まられている。お酒への情熱は北欧共通だが、デンマークで飲むような気分で他の4国へ行くと、酒を買って飲むことへのハードルがぐっと高まることに驚く。

 (*)アルコール度数の低い製品のみ、スーパーマーケット等で買うことができる。

 ちなみに本作の中心人物となる4名の男性はみなデンマーク出身の俳優であるのに対し、妻のアニカを演じるボネヴィーはスウェーデン出身だ。劇中でアニカが言う「この国の人はみな飲んだくれてる」のセリフには、飲酒に対する男女の温度差とともに、スウェーデン人とデンマーク人の意識の違いも込められているのだろうか?などと思う。

 デンマークでは16歳からアルコールを購入できる。これは他の北欧諸国と比べてもかなり早い。飲むこと自体は16歳前でも問題はなく、デンマークの友人たちに尋ねてみると中学生で飲み始める人は少なくないし、12歳から飲んでいるという強者もいた。高校生ともなれば立派に飲んだくれるわけだ。ちなみにWHOの報告書によると、デンマークの15歳の飲酒量は他のヨーロッパ諸国と比べて2倍にも上るという。

 本作で高校生の飲みっぷりが爆発するのがラストシーンだ。草花や垂れ幕で派手に飾りつけられたトラックの荷台に、白い帽子をかぶった高校生が酒を片手に乗りあわせているが、あれはデンマークの伝統的な卒業の儀式なのである。白の学生帽は卒業生だけがかぶることのできるもので、クラスメート全員を乗せたトラックは一人ひとりの生徒の家をまわっていく。各家庭には酒と軽食が用意してあり、一軒ずつ訪ねていっては飲んで食べてまたトラックに乗って騒ぐというなんとも型破りな卒業パーティだ。年に一度、一生に一度のバカ騒ぎであり、この日だけは何でもありの無礼講で大いに羽目を外してもいい。コロナ禍で町がロックダウンしていた2020年にもガイドラインに基づいて無事開催されているのだが、「デンマークの大切な伝統だから」と首相自らが声明を出しているところにもこの儀式の重要さが感じられる。本作の最後の見せ場として出てくるのも象徴的だ。

 さて本作を理解する上で鍵となるデンマーク語をひとつ、最後に紹介したい。心地よい癒やしのひとときを表すヒュッゲという言葉は日本でも大きく注目されたが、ヒュッゲと並んでデンマーク人の精神を表すのにかかせない「frisind」という言葉がある。簡単に言ってしまえば寛容の意味で、卒業時のデコトラ儀式はまさにfrisind精神の表れと言えよう。デンマークでももちろん未成年の飲酒事情を危惧する向きはあり、酒の購買可能年齢を引き上げる議論も繰り返されているが、いまだ変えない理由もそこにあるのかもしれない。たとえ大きな犠牲を払うことになっても、守りたいもの。マッツ・ミケルセンという“北欧の至宝”をもって、デンマークが世界にみせつけたかったもの。それこそが、デンマークの愛すべき飲酒文化とともにヴィンターベア監督が描きたかったテーマではないかと私は思うのだ。

≪≪PROFILE・・・北欧ジャーナリスト。北欧5カ国で取材を重ね、著書に『3日でまわる北欧』『いろはに北欧』など。映画関連の寄稿も多く、NHK『世界はほしいモノにあふれてる』『趣味どきっ!』などメディア出演ほか幅広い活動で北欧の魅力を伝えている。≫≫