2021年7月31日第222回「今月の映画」「いのちの停車場」
監督:成島出 主演:吉永小百合 松坂桃李 広瀬すず 西田敏行 みなみらんぼう 小池栄子
(1)この映画を観て、改めて、人間って本当に不思議なものだと実感しました。
人間は・・・人間だけではありませんが・・・人間は、必ず、死にます。それも無限の先ではなく、ほぼ百年が限界です。しかも、成人してからまともに自力で生きられるのは、頑張っても、ほぼ5~60年がいいところではないでしょうか。成人する20歳前後から、まあ自力でうまく生きられる80歳前後の5~60年間です。 成人してから、自分の身の回りの色々な物事を自力で対応できるのは、わずか5~60年の短さであり、活躍できる期間はせいぜい30年程度です。その後は、百パーセント、「死」を迎えることは、人間は(多分)全員が知っています。 それであるにもかかわらず、人間は何故、ジェノサイド(集団殺戮)やミャンマーのような独裁体制が多数の国民を殺害したり、国会議員などの「選良」が数々の不正を行ったり、さらには、使い切れないことが明確な「巨万の冨」を必死で溜め込んだり・・・。 また、そういう巨大な問題ではなく、我々日常生活の矮小な問題でゴタゴタを起こして、なんともいやはやな人生を、私・藤森を含めて、多分、ほとんど全ての人が体験したり、相も変わらず、体験し続けたりしているのではないでしょうか。 体験しているというよりも、平穏無事な人生を送ることのほうが困難なのではないでしょうか?では、「平穏無事な人生」を送ることに「困難な物事」って、一体全体なんでしょうか?どんなことがあるから、日常生活を「平穏無事」に過ごせないのでしょうか?一体全体何が原因なのでしょうか? 最近、私はやっと、その辺りのことが体得できて、「平穏無事」な毎日を送ることができるようになりました。特別な事(例えば、地震・台風・津波などの天災や事件や事故、コロナ感染などにより日常生活が困難になる状況など)が無い限り、「平穏無事」な生活を送れない理由が無いことに、後期高齢者になって私はやっと十分に理解し、ほぼ「体得」することができました。 それが拙著のタイトル≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」≫≫の「五蘊皆空」の意味です。つまり「平穏無事」に過ごせない理由は何も無く、「平穏無事」に過ごせない、或いは、「平穏無事」に過ごしたくないという歪んだ「脚本」「五蘊」が私たち人間の全ての「深層心理」に潜んでいることが原因だったのです。その辺りがやっと、ほぼ完全に「理解し体得」することができました。 それが「般若心経」の極致、「無(む)」や「空(くう)」の真の意味なのです。 野生動物は、自然のままに生まれて、自然のままに生きて、そして自然のままに「死」を迎えますが、人間は、ここに巨大な(深層心理に植え込まれた悪魔のような)「思惑」や「打算」や「環境や状況」に翻弄され尽くしています。 人間は、これらの「環境」をコントロールしながら、それなりに上手く生きていると「錯覚」していますが、実は、深層心理に潜んでいる「悪魔?」にコントロールされながら生きていると言えるほど、分かれば分かるほどバカバカしい人生を生きているものです。 それが一番簡単な「平穏無事な生き方」を妨げている原因なのです。 ≪≪人間をして、万物の霊長たらしめるような高等で、複雑な心の動きを営むのは大脳皮質の大部分(90%)を占める大脳新皮質。その内側にある残りのわずかな部分が大脳辺縁系(古い皮質)である。≫≫(拙著のp115) この「90%を占める大脳新皮質」が大きく発展したことで「万物の霊長」になれましたが、そこに芽生えた「欲望」や「怒り」「不安」「恐れ」などの種々様々な「歪んだ感情」にコントロールされた人間性を強化してきてしまいました。 その結果、人間は当たり前過ぎるほど当たり前な、「平穏無事」で「おだやかな人生」を生きることが困難を極めることになってしまっています。 以上の内容を理解する上で、今回の映画『いのちの停車場』はとても参考になります。 |
(2)まほろば診療所・・・・・
そこは、命を少しだけ輝かせる場所。 世代を超えた豪華キャストで贈る、感動のヒューマン医療大作。 家族の愛と命の輝きに、あなたはきっと涙する・・・。
<INTRODUCTION> 2020年。突如現れた未知のウイルスにより、いまだ世界は、それまでの日常とはかけ離れた時を過ごしています。連日、多くの犠牲が伝えられる中、それぞれが人生と真剣に向き合っているのではないでしょうか。自分の死期を迎えるその日まで、大切な時間をどう生きたいか?そして最後は、穏やかに人生を閉じることができたなら・・・・・。 そんな私たちの思いに寄り添うような“いのち”の物語が誕生しました。原作は、2016年、在宅医療の現場で、終末期を迎える患者たちの姿を描いた小説『サイレント・ブレス』でデビューを飾った、現役医師・南杏子の『いのちの停車場』(幻冬舎文庫)。都内の高齢者医療専門病院の内科医として、多くの患者たちの人生の最終章を見守ってきた医師だからこそ描ける医療現場の臨場感、尊厳死や安楽死というテーマに深く切り込んでゆく説得力で、2020年5月の発売と同時に、大きな反響を呼んでいます。 主人公は、故郷・金沢の小さな診療所「まほろば診療所」で在宅医に転身する、ベテラン医師の白石咲和子。在宅医療を選んだ患者たちそれぞれの事情や考え方に触れる中で、寄り添う医療の大切さを、身をもって知っていくヒロインです。咲和子を演じるのは、国民的女優・吉永小百合。本作の製作総指揮を執った、岡田裕介東映グループ会長から、新たなヒロイン像を創ろうとオファーを受けた吉永が、映画出演122本目にして、初の医師役に挑戦します。 咲和子を追いかけて「まほろば診療所」へやってくる野呂聖二役には、松坂桃李。「まほろば」の若いながらもベテランの貫禄を持つ訪問看護師・星野麻世役には、広瀬すず。院長の仙川徹役には西田敏行が扮し、最高のチームワークで、作品に味わいを持たせます。さらに田中ミン(さんずいに民)、石田ゆり子、南野陽子、柳葉敏郎、小池栄子、伊勢谷友介、みなみらんぼう、泉谷しげる、森口瑤子、中山忍、松金よね子、佐々木みゆ等、世代の垣根を越えた、2021年の日本映画界を象徴する、錚々たるキャストが集結しました。 監督は、『八日目の蝉』(11)で第35回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞し、吉永が主演と初プロデュースを兼任した『ふしぎな岬の物語』(14)では、第38回モントリオール世界映画祭審査員特別賞グランプリとエキュメニカル審査員賞ダブル受賞の快挙を成し遂げた成島出。脚本は『家族はつらいよ』(山田洋次監督)シリーズをはじめ、日本アカデミー賞優秀脚本賞を9度も受賞経験のある平松恵美子が執筆。吉永とは『母と暮らせば』(15)以来のタッグとなります。 撮影は『人魚の眠る家』(18)や『決算!忠臣蔵』(19)などの話題作を幅広く手がける、相馬大輔。2020年秋にクランクインし、美しく移ろう金沢の情景とともに、主人公たちの濃密なドラマを映し出します。音楽を担当するのは、成島映画に欠かせない、安川午朗。エンディングテーマを作曲したのは、世界的ギタリスト・村治佳織。さらに、村治のメロディに、名シンガーソングライターの小椋佳が詞を書いた。本作の応援歌「いのちの停車場」を、本編にも出演しており、歌手としての紅白出場経験もあるエンターテイナー、西田敏行が歌唱。映画に、豊かさを与えます。 死という恐怖の前で、命のしまい方を模索する患者たち。一方で患者の命を諦めきれない家族は、どう折り合いをつけるのか。両方の思いを大事に支える「まほろば診療所」の人々が、彼らの物語と私たちの人生をつなぎます。“いのち”と対峙する中、自分らしい生き方をやさしく問う本作。この映画が、忙しい毎日の疲れを癒やし、新たな視点から、はるか遠くまで人生を見通せるような、あなたのこころの停車場となりますように。 |
(3)「Story」
長年、東京の救命救急センターで働いていた、救急医・白石咲和子(吉永小百合)は、ある事件の責任をとってセンターを退職。父親(田中ミン)がひとりで暮らす、金沢に帰郷する。これまでひたむきに仕事に取り組んできた咲和子にとって、人生の大きな分岐点であった。 久しぶりの実家で、年老いた父との生活を始めた咲和子は、在宅医として再出発を図ることに。新しい職場となる「まぼろば診療所」では、明るい人柄で、患者たちから慕われる院長の仙川徹(西田敏行)を、訪問看護師の星野麻世(広瀬すず)がしっかりサポートしながら、近隣の患者たち一人ひとりの希望を尊重する治療が行われていた。 東京で長年、「命を救う」現場で戦ってきた咲和子は、「まほろば診療所」の治療方針に戸惑いながらも、患者やその家族たちと向き合っていく。 やがて東京から咲和子を追いかけてきた、医大卒業生の野呂聖二(松坂桃李)も加わって、時に「BAR STATION」で親睦を深めながら、“まほろば”で、自分の居場所を見つけていく咲和子。将来に悩んでいた野呂や、過去のトラウマに苦しんでいた麻世も、咲和子とともに、それぞれの命と真摯に向き合う患者たちと接する中で、自分らしい生き方について思いをめぐらせ、夢や希望に向かって歩き始める。 医師として、ひとりの人間として、故郷で大きく成長していく咲和子だったが、病に冒され、死期を悟った父から、病院で亡くなった母とは違う、命のしまい方を請われる。 父親の悲愴な覚悟を前に、咲和子は、娘として、どう応えるのか・・・。 |
(4)「まほろば診療所 メンバー 01 白石咲和子」
吉永小百合・・・59年『朝を呼ぶ口笛』で映画初出演。以来、『キューポラのある街』(62)、『愛と死をみつめて』(64)、『動乱』(80)、『細雪』(83)、『華の乱』(88)、『北の零年』(05)、『母べえ』(08)、『北のカナリアたち』(12)など数多くの映画作品に出演し、数々の主演女優賞を受賞。自らプロデュースした『ふしぎな岬の物語』(14)ではモントリオール世界映画祭で審査員特別賞グランプリ&エキュメニカル審査員賞をW受賞。近作に『最高の人生の見つけ方』(19)がある。
<<「いのちの停車場」とは、最期の時を迎えた人々が安らぎの時間を持ち、家族や親しい人に別れを告げて旅立っていく場所と捉えて、撮影に臨みました>> <Interview> ・・・本作のオファーを受けた時のお気持ちはいかがでしたか。 「以前からずっとドクターの役に挑戦したいと思っていました。122本目の映画で、初めてできることになり、嬉しかったです。今回私が演じた咲和子は、とてもまっすぐな性格で、命と向き合っているドクターであり、女性だと思いました」 ・・・2度目のタッグになった成島出監督とは、どのようなやりとりがありましたか。 「監督と細かいところまで話し合いながら、役を作っていきました。どんなドクターにするか?という点では、救命救急医療の指導をしてくださった先生が素敵な方だったので『あの先生をモデルにしましょうか?』と監督に提案したら『それは少し行き過ぎかな』と。救急医の潔さと在宅医の柔らかさ、両方をうまく出せるように、とおっしゃっていたことが印象に残っています」 ・・・コロナ禍で、初めての医師役、しかも救急医と在宅医、両方のご準備は大変だったのでは? 「撮影前に病院に伺って、いろんなことを勉強したいと思っていたのですが、病院に伺って、いろんなことを勉強したいと思っていたのですが、病院見学は叶いませんでした。でも撮影の数ヶ月前から、救命救急医療と在宅医療、それぞれの先生が何度も撮影所に来てくださって、丁寧に教えてくださいました。先生方のご指導があって、やっと役を演じるというスタートラインに立つことができたと感謝しています」 ・・・救命救急の最前線から、地方の在宅医へ、咲和子の劇的な変化をどう捉えましたか。 「命を救う医療から、命に寄り添う医療に変わった当初、咲和子はうまく切り替えができず、相当悩んだと思います。仙川先生を筆頭に、麻世ちゃんや野呂くん、『まほろば診療所』のみんなに助けられながら、寄り添うことの大切さに少しずつ気づいていったのかなって」 ・・・咲和子先生にとって「まほろば診療所」の仲間たちはどんな存在だったのでしょうか。 「東京に発つ野呂くんを見送るシーンを撮影した時、『野呂くんはもうスタッフよ。それを忘れないで』というセリフを、『スタッフ』ではなく、思わず『家族』と言ってしまったんです。私の中ではスタッフという感覚ではなかったので。咄嗟に出た言葉でしたが、監督が『それ、いただきました!』と言ってくださって。撮影中は、モンゴルのパオのような、みんな同じ仲間、みんな家族という感じでしたね」 ・・・麻世との最後のシーンには、どんな思いで臨まれたのですか。 「すずちゃんのクランクアップだったので、本当に最後の共演シーンになりました。大変な撮影を一緒に乗り越えてきた、すずちゃんへのプライベートな思いと、役としての思いが重なって、しっかりと抱きしめました」 ・・・本作では、父親をどうみとるのか?という、娘としての、咲和子の物語も描かれます。衝撃的なラストシーンを、どう受け止めましたか。 「もし自分が咲和子の立場だったら・・・・・ずっとそんな思いで取り組んでいました。最後の仙川先生とのシーンでも、咲和子は、あそこで何かを決意したのではない。仙川先生のあたたかい声を背中に受けて、自分自身でさらに深く考えなくてはという気持ちで、『BAR STATION』を後にしたような気がしました。ラストシーンは、悩みに悩んで、咲和子と同じ気持ちでした。どういう風に演じたら、観る方が受け容れてくださるのかわからなかった。本番は、お父さん役の田中ミンさんの力強いお芝居に引きずられて、必死でした。いつまでもお父さんと一緒にいたいなという思いでした」 ・・・完成した映画はどうご覧になりましたか。 「在宅医療を正面から描いた映画は、いままで少なかったように思います。私自身も、最期は自分の家で、と思っていますが、そうすればそれが可能になるのか?自分でしっかりと考えることの大切さに、改めて気づかされた思いがしています。いま、これまで以上に、命について考える時代になったのではないかと思います。『いのちの停車場』とは、最期の時を迎えた人々が安らぎの時間を持ち、家族や親しい人に別れを告げて旅立っていく場所と捉えて、撮影に臨みました。映画をご覧になった方が、命について考え、前向きに生きることにつながる作品になればとても嬉しいです」 |
(5)「Director」(監督・成島出)
94年『大坂極道戦争 しのいだれ』で脚本家デビューし、その後、03年『油断大敵』で監督デビュー。藤本賞新人賞やヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞。以降、『フライ、ダディ、フライ』(05)、『孤高のメス』(10)など数々の話題作を手がけ、12年には『八甲田山の蝉』が第35回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞など10部門を受賞する快挙を成し遂げた。15年には『ふしぎな岬の物語』で第38回モントリオール世界映画祭の審査員特別賞グランプリ&エキュメニカル審査員賞を受賞。近作に『ちょっと今から仕事やめてくる』(17)、『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』(20)がある。 ≪≪ラストシーンは、観てくださる方に委ねたいと思っています≫≫ <Interview> ・・・本作の企画について、どう思われましたか。 「この映画には、宿命的なものを感じています。在宅医療というテーマについては、十数年前に父を看取ったことから興味を持ちました。大正生まれの父は、最期、家に帰ることを望んでいましたが、当時はまだ医療体制が整っておらず、父の願いを叶えてあげられなかった。そのことに対して、ずっと後悔が残っていました。南杏子先生の小説も、以前から拝読していたので、何かdestinyを感じてね。吉永さんとは『ふしぎな岬の物語』(14)の後、私が肺がんを患って闘病していた時に、がん封じのお守りとお手紙をいただいて。『早く治して、また一緒に映画を撮りましょう』という言葉に勇気づけられました。今回、約束を果たすことができて嬉しいです。金沢のロケハン中に、咲和子の実家のイメージにぴったりのお家を見つけたら、実際に画家の方が住んでいたのも、僥倖でした。映画を作っていると、そういう偶然がたまにあるんです(笑)」 ・・・映画化にあたっては、どのようなことを大事にされましたか。 「咲和子は大ベテランのドクターだけど、金沢に戻って、いろいろな患者さんや家族と出会っていく中で『まほろば診療所』の仲間からも刺激を受けながら、人間として成長していく。そんな姿を、ユーモアも含めて軽やかに見せられたらなと思っていました。無理やり明るく、というのではなく、人間が本来持っている明るさや生命力を捕まえられたらいいなと」 ・・・印象的なラストシーンに込めた思いをお聞かせください。 「実は企画の当初、製作総指揮の岡田裕介会長とは『天国の駅 HEAVEN STATION』(84)のような、大きな悲劇を背負う吉永さんを久しぶりに見たいよね、と盛り上がっていたんです。でも実際に撮っていくうちに、どんどん追い詰められていく咲和子が、最後にどのような決心をするのか、正直わからなくなりました。多分、吉永さんも同じ気持ちだったのではないかと思います。改めて企画の原点に立ち返った時、取材で出会ったお医者さんから聞いた話を思い出したんです。その方は、病院での診察が教科書通りの基本問題ならば、在宅医療は応用問題だと喩えた。 例えばひとつの治療方法に関しても、ある家庭ではやってください、ある家庭ではやめてください、ということが起きる。在宅医療では、病院のルールに患者さんを当てはめるのではなく、それぞれの家庭のルールにあった対処法を医者が考えていくのだと。そう考えると、この映画もひとつの答えをゴリ押しするのではなく、映画をご覧になる人それぞれが創り出す答えを尊重すべきではないかと思い至りました。いろいろな家庭を旅するように巡る中で、咲和子がどう変わっていくのか?ラストシーンは、観てくださる方に委ねたいと思っています」 ・・・いまという時代に、この作品を送り出すことについては? 「死と生は表裏一体。映画のテーマでもある。どう死ぬか?については、どういきるか?ということをちゃんと描きたいと思っていました。思いテーマでしたが、松坂くんやすずちゃん、若い2人が太陽のように映画を明るく照らし、吉永さんや西田さんが全体をやさしく包んでくれたことで、おおらかに“生”を描くことができました。誰にでも死は訪れるという意味で、これは誰にでも起こりうる物語です。映画をご覧になった方一人ひとりが、人生や命の大切さについて考えるきっかけにしていただければ、大変嬉しく思います」
(6)「Based on a Novel」(原作・南杏子) 日本女子大学卒。出版社勤務を経て東海大学医学部に学士編入。卒業後、慶應大学病院老年内科などで勤務ののち、スイスへ転居。スイス在留邦人のための医療福祉互助会顧問医などを勤める。帰国後、都内の病院に内科医として勤務しつつ、自身の仕事周辺を題材にした執筆活動を行うようになり、16年、終末期医療や在宅医療を描いた『サイレント・ブレス』にてデビュー。以降、医療をテーマにした作品を発表し、話題を集める。 ≪≪必ず来る人生の終わりについて、いっしょに考えたいと思いました≫≫ ・・・映画化のオファーを受けて、どんなお気持ちになりましたか。 「夢のようでした!吉永小百合さんが私の小説を読んでくださったというだけで信じられないような気持ちでした。しかも、主人公を演じていただけると知り、評価してくださったのだという喜びでいっぱいになりました。成島監督のやさしく、深みのある映画も大好きでしたので、映像の中で登場人物をどんなふうに作っていただけるのか、ものすごく楽しみでした」 ・・・救急医から、在宅医に転身する主人公・咲和子像は、どのようにして生まれたのですか。 「自分の年齢に近いベテランの女性医師の物語を書きたかったというのが最初にありました。人生経験豊かな医師だからこそできる医療があり、その一つが在宅医療や終末期医療であると思います。若い医師は、まず命を救うことを徹底的に教え込まれます。けれど、どんなに手を尽くしても患者さんの命が終わる日は必ずやってきます。終末期の迎え方は十人十色です。たとえば『口から食べられなくなったらどうしますか?』といったことにも、答えは一つではありません。ただ、正解のない大海原でも、年齢と経験を重ねた医師なら英知をもって漕ぎ出していけます。新しい世界に身を投じたベテランの医師の、迷いや苦しみ、悩み、喜び、さらに、そこから成長する姿を描きたいと思いました」 ・・・「自らの思いで死を創る」という、極めて個人的な問題を取り上げた原作は、ひとりで抱え込んでいた、不安な気持ちをほぐしてくれるような“読む薬”的な効能を感じました。在宅医療を舞台にした理由は? 「大病院の病室でなく、患者さんの家の中を舞台にすることによって、患者さんの背景がより強く浮かび上がると思って在宅医療を選びました。また、自分自身の原点として、祖父を在宅で看取った経験も反映されていると思います。自宅で家族を介護するのは、決してきれいごとでは済みません。たくさんの喜びもありますが、一方で大変なこともあります。在宅医療の明と暗をバランスよく描く中で、安らかで幸せな瞬間があることを伝えたいと思いました」 ・・・今回は、看護師役でカメオ出演もされましたが、映画の現場はいかがでしたか。 「ものすごく大勢の人が動く世界なんだなと感動しました。そして、そこにいる皆さんが『いのちの停車場』のために頑張ってくださっている。たとえば衣装も小道具も、細かいところまでリアルに作られていて驚きました。めったに出来ない体験をさせていただいて、本当に楽しかったです。撮影に使った看護師役の名札は、私の宝物になりました。現場では私の緊張に気づいた吉永さんが、笑わせてくださって。とても細やかな心配りを感じました」 ・・・完成した映画はいかがでしたか。 「素晴らしいの一言に尽きます。特にラストシーンが感動的で心に残っています。咲和子先生の迷いが、金沢の美しいロケーションと相まって、神々しいシーンでした。映画でしか表せないことがあるのだなと強く実感しました」 |
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